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唐津街

「唐津さるき」ブログにご訪問いただきありがとうございます。
気ままに唐津の今昔について、画像を交えて綴っています。お付き合いいただければ嬉しく思います。
1月たいとる
1月 初詣の唐津神社

唐津藩は肥前名護屋に近く朝鮮とのかかわりが色濃い歴史の流れがあります。藩主家だけでも、豊臣秀吉に重用された寺沢広高から始まり、小笠原家まで6代入れ替わり唐津市民の祖先もかなりの人種が雑多に入り組んで文化形成がなされてきたと思われます。この点は同じ佐賀県でも鍋島家1代で栄えた佐賀藩とはかなり文化の違いを今でも感じるところがあります。唐津藩藩主で日本史の教科書に出てくるのは5代目の水野家藩主水野忠邦くらいしか記憶にありません。学んだ時も筆者は忠邦が天保の改革を行ったくらいしか知識がなく地元唐津藩主だったとは知りませんでした。
2018年4月から文献などを読みながらポチポチやっていきます。健康のためにウイークデイには唐津城の上り下り、時々週末には鏡山登山を心がけています。

テーマ : 九州のんびり旅情報
ジャンル : 地域情報

佐賀県陶芸協会展

年明け初めて、図書館に立ち寄りましたら美術ホールで「佐賀県陶芸協会展」をやっていたのでちょっと覗いてみました。唐津も含め佐賀県の陶器に詳しくありませんが、力作が集まっているように見えました。せっかくなので予備知識や作家名を見ないで、私的に直観でいいなと思うものを選ぶつもりで見ていました。一回りして釘付けになった作品がありました、写真撮影禁止で画像が撮れませんでしたが、後から見た作家は井上康徳さん でした。作品は白磁黄青釉刻文鉢(はくじおうせいゆうこくもんはち)真っ白の磁器に薄青い流線模様が何とも言えずしびれました。

陶芸協会展示2

繰り返しですが写真が取れず残念、いろいろネット検索して下記のギャラリーに掲載されている「白磁青釉円刻文鉢」がなんか似た感じですが、展示物とは違います。
井上康徳ギャラリー

彼のプロフィール見ますと、父親が人間国宝の有名な陶芸家井上萬二さん、息子の康徳さんは大学も工学部経営工学科卒で異色の経歴の作家といえますが、偉大な父のもとで修業されこんな感動的な作品を制作されるとは、感銘を受けて帰ってきました。

なお余談ですが佐賀県陶芸協会の会員は62名いて今回49名の方が出展されています。この会員名簿で唐津の住所の方が4名と少し少ない気がしましたが、会員でなくても優れた作家はいっぱいいると思います。
陶芸会員名簿


町田川2

町田川 河口から上流側へと歩き始めます。ここ1,2年で遊歩道が松浦川沿岸の旧競艇場跡地から宝当桟橋をとおりその延長線上で整備され、実に快適な遊歩道になりました。江戸時代の絵図を見ますとそのころはこの辺りは入り江の中というか河口でありまして京町と魚屋町を結ぶ札の辻橋が町田川の河口の最初の橋として書かれています。

遊歩道 城内橋西
整備された遊歩道


旧競艇場遊歩道
東側 旧競艇場跡地遊歩道

緩やかな下り坂をトコトコと歩いていきますと、町田川には特に冬場は多くの水鳥が集まっています。
千代田 城内橋

遊歩道の南側は唐津の公的機関の密集地で、年金事務所や労働基準監督署などがあり最近立ったマンションも見えます。
公的機関マンション
この年金事務所と新築マンションの間から見る唐津城もなかなか渋いです。


そうやって歩いていきますと、千代田町と二の門を結ぶ河口から2番目の橋「千代田橋」に当たります。
千代田橋1
千代田橋は昭和40年竣工となっていますが、私で言うと中学生時代、付け替えられたのか新設だったのか定かでありませんが、こんな立派な欄干はなかったと思います。左手には今は唐津市の福祉施設になった旧城内閣が見えます。

町田川 その1

いつも散歩している町田(チョウダ)川ですが歴史も含めて少し興味がわいてきていろいろ資料を見ていますが、意外と資料が少なくて難渋しています。調べながら河口から長松大橋あたりまでの歩ける範囲の写真をポチポチと掲載していきます。少し長いスパンのシリーズになるかもしれません。松浦川水系とされる町田川ですが、ウイキペディアには二級河川となっていますが、現地には一級河川の立派な石碑(写真)もありますので多分一級河川だと思います。

町田川石碑
町田川は上流がどこかを追及するとわからなくなります、追々現地をたどってみたいと思いますが、とりあえず河口側から歩いていきます。江戸時代は寺沢広高の唐津町造りで町中に掘割がありましたが、今はその掘割も大部分が道路に代わりました。 町田川河口はちょうど高島行の宝当桟橋あたりで、松浦川に合流します。そこから唐津市内を南西方向に上り唐津の内町と外町を区分けしています。今はこの川を渡す橋は河口側の城内橋から始まり旧唐津市内で15本あります。

町田川河口1
町田川河口付近


このあたりは江戸時代は、「船入門」とよばれ城主の参勤交代などの出入りや城への納入品の出入りの船着き場として使われたようです。ここから眺める石垣は、手あかがついてない感じで江戸時代当時のまま残っている素朴な感覚があります。

町田河口の石垣



船入門説明
船入門の説明看板



城内橋002

町田川としては最も河口に近い城内橋は平成三年三月に竣工していますが、今や唐津城の撮影ポイントになっています。

元石町の笹垣

久しぶりの笹垣です。 いつもあまり歩かない元石町方面、たまたま用事があり歩いていまして少し細かい路地に入り込みました。するとポツンと手入れの行き届いた笹垣に遭遇しました。 美しくついシャッターを押しました。

元石町笹01

やっぱり笹垣は、唐津のひとつの象徴です。
元石町笹02

2019年 謹賀新年

新年あけましておめでとうございます。唐津地方も元旦ははっきりしない曇り空の天気でしたが2日特に午後からは快晴となり風もあったので澄んだ青空の中を、唐津の定番コースをフラフラと歩いてみました。先ずは唐津神社で初詣です。
唐津神社20190102


次に高取邸が2日には開けていまして、表から垣間見ながら通りまして、西の浜へ向かいました。
高取邸2019新春

西の浜もクッキリ晴れ渡り冬の雰囲気ではありませんですね。
2019新春西の浜


西の浜から唐津城が見えたのでそちらに向かいました。
2019新春西の浜唐津城

城の入り口にも門松でお正月ならではの感じです。
唐津城20190102



20190102唐津城鏡山
お城から鏡山や虹の松原もくっきりの2日の午後でありました。唐津の観光案内になってしまいました。

年の瀬最終

唐津地方もこのところ寒波襲来で寒い日が続きますが、まだ雪を見るまでには至っていません。ここ1、2年思うのは意外と冬場の晴天の日が多いと感じます、唐津も大きくは日本海側なので冬はどんより曇った日々が続くという固定観念がありましたが、それも変わるのかなと思います。今年も一年が終えようとしています。本年4月からポチポチ始めましたつたないBLGですが、ご覧いただきありがとうございます。来年もよろしくお願いいたします。

1年の終わりに月々にタイトルに使った写真を並べてみます。よいお年をお迎えください。


唐津城(アップ)
4月 唐津城

髙取邸 垣根
5月 高取邸 石垣と見越しの松



お城海岸クス
6月 西の浜からの唐津城

7月西の浜
7月 西の浜の海開き

夕闇西の浜
8月 西の浜夕暮れ

201810月タイトル
10月 先石町の稲田

3日朝勢ぞろい1
11月 唐津くんち 朝の勢ぞろい曳山


201812月
12月  町田川の水鳥

年の瀬の唐津

今年も残すところ2日となり、どうしてもやらなければならないことはわずかですが、気持ちが焦ってきます。唐津地方も本日は日が差していますが寒い1日です。 御用納めが終わった街を歩くと、いつもよりさすがに人が出ています、買い出しに行く人、帰省して仲間と歩く人。おくんちの次ぐらいに街に活気があります。

御用納め2018
御用納めが終わり人気のない市役所


中町年の瀬2018
中町の商店街も活気があります

最後14番曳山の「江川町」

さて曳山保有町最後の江川町です。江川町は曳山保有町の中では、唐津の西端に位置し、くしくも1つ前の水主町が東端で両端町が曳山の最後を務めます。

14台の曳山のうち船形曳山は大石町と2台です。七宝丸と呼ばれ宝珠、軍配、打出の小槌、隠れ蓑、宝袋、丁子(ちょうじ)、一対の巻物といった七つの宝をもつことから由来するといわれています。以前「蛇宝丸」と呼ばれてもいたそうです。明治九年(1876)「七宝丸」が制作される際に題材を選んだ理由について、町には曳山制作関係者が大石町在住であったので、大石町の曳山と対になる船形となったという話です。めでたさと勇壮さ両面を持った曳山です。
えがわ20181

江川町2018後ろ側
江川町「七宝丸」



えがわ201807

今の江川町を歩きますと、ここも静かな佇まいで、畳屋さん板金屋さんなどの家業があり職人町の雰囲気が今もします。加えて伝統と思いますが、新しい家も格子状の窓や建具など町の伝統美観を保存しようという心意気があります。江川町は組屋敷の町と呼ばれ、当初は下級武士の居住区域であり、江戸期当初の正保絵図には見られず、領内交通の発達にともない大久保時代以来、町屋が形成されたとのことです。絵図にはこのあたりは、鉄砲町とか寺町とかの記があります。文化年間の記録による町の規模は、68軒、263人と内町の中でも大規模な町だったようです。太閤道にも近く起点としても町がにぎわったようです。



えがわ201806
今の江川町本通り

13番山 水主町

さてブービー曳山13番 水主町です。この町の名前をスッとカコマチと読める方は、唐津人か唐津に詳しい方です。水主は元々船舶労働者のことで、水手とも書くそうです。曳山の題材は「しゃち」です、当初は隣町の大石町の「鳳凰丸」と対をなし、船形曳山「龍王丸」を造ろうと考えていましたが、江川町が「七宝丸」制作中との情報と、尾張名古屋城の金鯱を見た水主町惣代の気転などにより、海と水に所縁ある町名に因み「鯱」へ変更となったとのことです。鯱は火災の折、口から水を吐き建物を守る霊力があるとの伝説があり火除けのまじないとして城郭天守の屋根の両端に据え付けられるのが慣例となっていました。鯱は想像上の、魚に似た海獣ですが、昔水族館でシャチを見たことがありますが同名ですが全く関係ないようですね。
曳山はなかなか勇壮な面構えです、明治9年製作でしんがり14番山の江川町と同年制作でおくんちの町廻りのときは江川町と順番が入れ替わったりします。

かこまち曳山

水主町は歴史的には、松浦川が物資の運搬のかなめで、寺沢志摩守が入唐時に水夫の町としてできたのが始まりのようです、私は家から距離があることもありなかなか普段歩かないのですが今回歩いてみてやはりほかの外町と同じように、所々に格子状の窓がある旧家があり落ち着いた町です。

水主町1

そして現代では、宮島醤油の存在感の大きい町です、同社のホームページによりますと、工場所在地は船宮町ですが、沿革では明治15年 (1882年) 6月水主町に於て醤油・味噌醸造業を創業 とあります。歩いていても船宮町との境は分かりづらいです。

宮島醤油01

ちょっと気になった建物がありました、今は宮島醤油の施設になっていますが見かけは昭和初期中期の病院風の木造建築です。
記憶違いかもしれませんが、子供のころ目を患ってお世話になった眼科の建物のような気がしました。
旧諌山眼科

プロフィール

ヨシ

Author:ヨシ
唐津の街歩きの何気ない日常写真をちょっとコメントを入れて
掲載しています。

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